それは違うでしょ (追記)
私は、「自分流」のやり方で人生を生きてきたために、成功を手にすることはありませんでした。そして、前述のような人生最大の試練が与えられました。
と言いながら、ネ申さんまでも自分流に捻じ曲げてしまう暗黒パワーに脱毛です。
「そうだ、私を苦しめている人たちを悟らせればいいんだ」という気持ちに変わったのです。
何故に、そっちの方へ行ってしまわれるのだろう。
以上が、私がクリスチャンになった経緯です。キリスト教とは、「いかに人を許すか」の宗教と言えます。聖書は「490回、相手を許しなさい。」と教えていますが、悔い改めた私も、私を苦しめたすべての人を許しているのは言うまでもありません。(キリスト教徒の使命としての「背後にいるサタンとの戦い」は続きます。)
であるにも拘らず、どうして自らを甘やかすかのような余計な斗かいを持ち出して自己精糖化しようとするのか理解に苦しむところです。赦してないじゃん・・・・
少なくとも、今のナカムーの中の人に必要なのは、ネ申さんではなく、真の姿を映す魔法の手鏡と、上面だけではない真の反省の芽生えなのだと思うのでした。
ふと、『google:ゲシュタルト崩壊』とか、『google:ゲシュタルト療法』なんて言うのを思い出してしまった。ちょっと、違うか。
>> 追記
つらつらと、このようなことも仰ってましたね。Tomatotic-jellyには、単なる非常識にしか見えないのですけれども捉え方によっては・・・・厭厭
常識のある人は、自分を世間に合わせようとする。
非常識な人は、世間を自分に合わせようとする。
ゆえに、非常識な人がいなければ、この世に進歩はありえない
(劇作家のジョージ・バーナード・ショーの言葉)
<< 追記ごめんなさい。ありがとう。愛しています。