てがらはなし

ウダウダ手柄話なぞする暇に、お祭り存続のための現状説明と後継育成の提言だけをすれば、とても「い〜話だな〜」で終わるだろうに、人物が透けて見えてしまうのは、蚤金の為せる業なのではなかろうか。

(太字強調:t-j補)


私は10周年を機に、来年からの地蔵祭のあり方を再検討するよう、後援の東村山市に働きかけていくつもりです。私は以前に書いたように、地蔵祭の開催を強力に支援した人間です。私がいなかったらこの地蔵市は100%開催されませんでした。その私が、「見直し」を提言しているのです。


私は決しておごった気持ちで申し上げているのではありません。厄除け木彫り小地蔵を制作している障がい者施設の利用者や職員の気持ちを考え、苦言を呈しているのです。

ただ、これに続く一節が、如何繋がるのかが分からないのであります。

考えてみてください。小地蔵をつくっているのは普通の人間です。もちろん、魂を入れるのはお寺側ですが、厄除けや子供養育などを祈願する「地蔵」をつくることが、製作者にどれだけプレッシャーを与えているかを。


私は、製作の苦悩を知っています。当初の小地蔵と現在の小地蔵には、皆さんは気がつかないでしょうが、大きな違いがあります。ここでは明かしませんが、製作者の苦悩が読み取れる大きな変化があるのです。


「木彫り」という表現にも「装飾」を感じます。

つまるところ、事業所の方々が厭厭お仕事をされていると言うことなのだろうか。
もし、そのようなことが有るとしても、方々からウォチ対象になっているところで、お祭りに水を注すような遣り口を取っても良いのだろうか。それこそ独り善がりのまんまのまんまではなかろうか。それが公的に大問題な所があるなら別だと思うのですけれど。
地蔵まつり
建 立 六 百 年 記 念(厄除け小地蔵)ごめんなさい。ありがとう。愛しています。
<<追記>>: どうせ、「手打ち」か「手打ち風」なのかにイチャモン付けた程度のことではないかと妄想するのですが、いくつかの画像を拾ってみたよ。

http://www.shoukoukai.or.jp/jizou/kojizou.htm

建 立 六 百 年 記 念 via kwout

平成20年以前か?