マッチ擦りの少年

日本が昭和時代のように平和になって欲しい

そんな事で自分から逃げてばっかいると、Tomatotic-jelly みたいに大切なものをなくしちゃうよ。 気がついてからじゃ遅いんだからね。

Tomatotic-jelly は、働くようになるまで自分ちが貧乏だったのに気づかずに過ごしてしまいました。

幼稚園、保育園なんて小洒落たものも とんと縁がなく、お留守番が出来るようになるまで母親は内職と言うもので食いつないでおりましたのですが、小生意気にも留守番なぞが出来るようになると母親はパートとやらに行くことになり、鍵っ子なんてのが、ちょっとカッコイイとか勘違いしていた時代がありました。 世の中、押し並べて貧乏だったりしたわけです。

まぁ、お蔭でマッチの擦り方とか、インスタントラーメンの作り方が上手い小学生が出来上がったわけですが。

が、けして良い時代だったかと言えば、一概にそうとも言えない訳で、未熟な脳みそで、単に世の中の事なんか大して考えずに生きられた時期をノスタルジーとか言ってる訳ですね。

今時の子たちみたいに大人びた情報が耳に入って来にくかったと言う事であれば、それなりにのんびりとした良い時代だったのかもしれませんけど、昭和の前三分の一は戦争だったし、中盤は東西冷戦で、今のギスギスだって その名残とか遺恨試合でしょ。陸海空公害だらけで、未だに保証が如何のって話しだし、終盤はオイルショックやバブルボム炸裂だったし。

物心がついた時には何でも当たり前みたいに有って、我慢不要論掲げる日教組さんの布教も広まって、我慢を知らないで育ったのを不幸かもしれないななんて穿った目で見れば、今の人たちは不幸感は満載なんだろうけど、Tomatotic-jelly からしたら、なに贅沢言ってんだろなんて思うこともありますのでごめんなさい。

何度でも言うよ。

「無くしてからじゃ遅いんだよ」

 講義の中でその一字一句を正確には覚えていませんが、「現在、夢を持っていない人へ」(私の事)とした言葉の中で、「今、目の前にある事に真面目に、真剣に取り組み続けること。その積み重ねが自分の歩いてきた道となり、やがて先に見えてくるものがある」と。言葉だけを“受け売り”で書いても伝わらないと思いますが、人生を力強く生きてきた師の言葉に押しつぶされそうでした。