わさびと唐辛子

お尻に火がついたのか、瀬戸先生にせっつかれたのか、
口角泡を飛ばすようになった東村山市民新闇。
PCにしがみつくな、早く寝ろ、と叫んでいますのは何故?
それこそ余計治せは 余計なお世話ナノです。
瀬戸先生も仰られていますよ。

一台のパソコンはやがて社会を変える―。
我々の先輩はかつて「一発の銃声は百万人に勝る」と言ったが、私は現在「一台のパソコンは百万人の動員に勝る」と言いたい!

まぁ、これに自演乙と言う余計なイメージが憑いてしまったのは、無戦略と直情的な醜態の結果ナノが残念な部分でありますので、HMY界隈の方が各個それぞれの遊びごころ溢れるシーモネーターで逃げ道を作っている間に回避、修正行動を起こせなかった? 起さなかった? 自縄自縛なので仕方のないことナノですので。
事件から13年。今になって証拠証拠と騒ぐのは何故なのか。
創価の手先機関に証拠を依存しているのは何故なのか。
13年もの間、証拠集めを怠っていた理由は何なのか。
草の根が動くと不思議なことが起きるのは何故なのか。
瑣末な疑問は色色出てくるのですが、鈍間な甕な Tomatotic-jelly の興味は、それほど多くは ないのです。
事件の前後に何が起きていたのか。
証拠収集、公開を困難にして来た物は何か。
子供たちは元気でいるのかな。
急に饒舌になったのは何故なんでしょう。 イメージ、印象、想像証拠。 それこそ、腐敗していると揶揄する警察が証拠も無しに起訴する冤罪事件と同じではないのですか。冤罪を崩すのは事実の積み重ねしかないのではないですか。
鈍間な甕な Tomatotic-jelly にでも分かるような、事実とすることを順を辿って説明されては如何ですか。
Tomatotic-jelly的には、何か大事なものが抜けているような気もするのですが*1、とても心に響く言葉だったのでメモしておきますです。

 この日を特別な日として考えて、これまでの人生を生きて来た。この考えと姿勢はこれから残された人生を生きて行く上でも変わらない。では何故に特別の思い入れを以って来たのか。
 それを今年も2月26日に書きたいと思います。

よくよく運がないか、 風も読めぬままに間の悪い事が 残念でなりません。

*1: 「以って来たのか」の 辺りです。 街宣表現とは違い、顔、声、なまり。その人となりが表現し難い文章表現との違いを理解していらっしゃらないように感じられるのが、とても残念です。