断片的なトマトの納豆定食的記憶

Tomatotic-jelly は、コミュニケーションが苦手です。それにも増して 我儘です。だけれども、布団たたきで追い回されるほどにスパルタ厳しく育てられてしまったので、何かがあると反論も出来ずに 黙り込んでしまいます。
小心者です。本当は 怠け者です。それから、スパルタ厳しく育てられた所為なのか、両腕でガードする その隙間から上目遣いで見上げるように 他人の顔色を見るのが得意になってしまいました。 ヤノシギさんは、何かあると罵声バルカン砲に変身して、Tomatotic-jelly とは、真逆の反応を示すみたいですが、心の歪が 歪んだ行動の引き金になっているのは、一緒なのかな。なんて 自分の姿を見てしまうわけですが。
と言った所で、セトセンセーなわけですが、何十年も一方的に訴え続ける事ばかりしていたため、言葉主体のフィードバックが出来ないひと。コミュニケーションの基本である意思の疎通を諮ること、確認する能力が欠けている(センセー、センセーと煽てた人らの責任?)と考えると、Tomatotic-jelly 的には、納豆定食を喰う 納得なわけです。 ただ、大勢の聴衆の反応には敏で、普通の人達(漠然とね。定義は難しいので聞かないでね)が理解できなくて、「おかしんじゃね」と、騒げば騒ぐほど、「ウホ」、「みんな盛り上がってる。ボクって、ステキ」 っとなってしまうのは、ひょっとしたらマツクロさんが追求している方面での血が騒いでしまうのではないのだろうか。十把一絡げの顔色を読む能力は、持って産まれた物なのか、永年の実績が培ったものなのかは興味が無いので、如何でもいいんですが、そんな所では、ないんでしょうか。
「対話型コミュニケーション能力欠損症」
したがって、個対個のコミュニケーション能力を必要としない場、相手においては、その能力を遺憾なく発揮され、「ボクスゴイ」、「ボクカッコイイ」と妄想幻想の世界に浸っていられるのだと思うのでした。
「日本を変えたい」
本当の本気で、そう思うのであれば、Tomatotic-jelly のような、年収50万の 何も考えないような オバカでも、「なるほど」と思えるような、「創価キチガイ」と言っているばかりじゃなくて、創価の人達が、「瀬戸先生って、大作先生よりいいこと言ってるな」と、思えるような言葉を紡いでゆかなければならないのではないですか。そうすれば、いつもと それほど変わらないかもしれないけど、何かが違う。そんな日本になるんじゃなかろうかなのです。
先生の お歳になって批判の中にある本当の思いを聴けるようになってこそ、真の日本を考える資格が有るのではないのかと、自分には出来ない様な事を呟いてみたりするわけです。Tomatotic-jelly には、その本当の本気が 全然と 見えて来ないのです。今のままじゃ、本当の義に生きてきた右派の人達の実績のデストロイヤーでしかなくて、「やっぱ、ミギってアホ」で、終わってしまうんじゃないでしょうか。 Tomatotic-jelly にも 分かるよう、「あれは誰なんでしょうね(調べりゃいいじゃん)」とか、「糞が如何のこうの(掃除すりゃ済むじゃん)」とかじゃなくて、思わせブリッコな尾鰭じゃなくて、伝えたい事が、ひとり ひとりに伝わる 言葉の尾鰭を 示して欲しいなと思ったりしているのでありました。 「もやしはブラックマッペ」くらいの ささやかな中国毒食抵抗運動しかできない 年収50万円の Tomatotic-jelly は、莫迦なので大変だとは思いますけど。先生の行動力が 有れば、それほど難しい事じゃないような 変な期待を持っているのでありました。
ま、こんな所を見てるわけ無いだろうなとは 思うけど。
と言う夢を見た。