あだすぃ とまどつぃっくずぇりぃ

マツクロ氏に デタおた詐称疑惑 か?
予てからの11月病に苦しんでいたマツクロ氏が、偽ぬんこ事件を切っ掛けに 回復の兆しを見せ、精力的な活動を見せている。
多くのマツクロ・ファンも、彼の復調に、一様に安堵の思いを懐いているのであろう。 ところが、ここへ来て、「今までのマツクロさんと違うんじゃ・・・」、「ほんとに デタおた なの?」 と言う、一部ファンからの疑惑の声が上がっている。(けして、Tomatotic-jelly ではない)
と言うのも、目次化が追いつかぬほど精力的にアップされ、内容も不調前にも劣らない ぬんこ道マッシグラに見える記事ではあるが、デタおた の基本である、「通し番号」の乱丁が 煩雑に発生しているのである。
あるマツクロ・ファンは、「ぬんこデムパの影響じゃないのかなぁ。免疫が弱ってる所に変なもの踏んじゃったから」と、氏の性急な復帰を心配していた。
だが、ちょっと待って欲しい・・・
これは、巧妙なマツクロ氏の 親心ではないのだろうか。
一見、乱丁にも見えるラベル貼りは、マツクロ氏の暖かく厳しい声が隠されているのではないかと夢想するのである。
「どんなに信頼をおける者であっても、信じるに足る確証が得られるまでは、軽々に信じてはいけないぬんこ」
そこで、筆者はマツクロ氏や 多くのマツクロ・ファン、ぬんこファンに ひとつの提案がある。それは、
奉仕と体験は自然と農業を学ぶこと」で、心身ともに リフレッシュされては如何だろうか、と言う提案である。
筆者の幼少の思い出の ひとつに 祖母が肥柄杓で 畑のトウモロコシに ぬんこを 撒いていた姿がある。町育ちの筆者は、はじめ、「ウゲッ」と、言葉をなくした。 しかし、そんなものは、もぎ立てのトウモロコシを 庭先の七輪で 焼き、醤油をブッカケただけの(ただし、二度焼きして欲しい) それに齧り付いた時、ぬんこの事など 何処かに消えうせてしまったのである。 そして、肥柄杓を見事に操る祖母の姿が 日本の原風景を 支えていた事を この歳になって気がついたのである。 ただ、いまだに、そのアジを超えるトウモロコシを食べられない事が、唯一の不幸と言えば贅沢であろうか。
いま、目の前に広がる里山を背景に 鬼気として 肥柄杓を 振り回す マツクロ氏や 彼のファン達の 無邪気な姿を 微笑みの中で味わっている。
そして、マツクロ氏が 段段と近づいてくる。肥柄杓を 右下段に構えて。
近づいて・・・来る。・・・来る
と思った、その時、目が覚めたのである。
筆者は思う。たかが ぬんこ、されど ぬんこ。
ぬんこ、ぬんこ と 街宣すてぃる前に 大地と対話しては如何だろうか。
大地に汗して立てば、心のふるさとに 出会えるのではないだろうか。
本当の心の 声が聞こえるのではないだろうか。その事が、真に日本。
いや、日本に限らず、何処の国にも通じる 祖国愛を 考えると言う事ではないだろうか。
と思った所で、また、目が覚めたのであった。
※ これは、フィクションであり、実在の人物・団体とは関係ありません。