The Ender Free

日本て大陸から逃げよう逃げようとしているのに太平洋プレートに一生懸命押し返されていて、微妙なバランスで進退窮まっている感じですね。・・・・なんて、「のりP姐さんが、胎を括って裏社会で生きる覚悟の大芝居をしてるニュース」を横目に妄想世界を彷徨ってました。
Tomatotic-jellyがHMYに片足を突っ込んだ時に、最初に思ったのが、「ゴミ屋敷」だなってこと。 瀬戸さん達に思ったのは、セクト崩壊リアル体験。 伯父、伯母の世代が火炎瓶とかコンクリ投げてるのを「ふしぎーな気持ち」で眺めてたのを思い出しました。その時代、ノンセクトなんて中途半端な立ち位置で眺めていた人は、どのように見ているんでしょうかネ。

 人の真価って、進退窮まった時に分かるって、何方が言ってたんでしたっけ。
たいてい、そんな時に近寄ってくるのは、本当の友か、弱り目に祟り目の詐欺師か、新興似非宗教団体くらいのものでしょ。
そう言う時に耳に痛いことを言ってくれる人、それを聞く耳を持っている人。愛想をつかして離れてく人、そして、それを恨む人。Tomatotic-jellyは、とっとこハム太郎ですけど。
それが「神の声」なのか、「悪魔の声」なのかは、その時にはわからないし、自分で見極めるしかないんだよね。自分の心の声に尋ねるしかないんだよなって。
でも、わやくちゃになって訳わかめになってしまった時って、どうすればいいんでしょうね。楽な方に行っちゃって失敗するんだよな、Tomatotic-jellyの場合。
「奴の言うこと聞いてれば」って。
Tomatotic-jellyは、そう言うのを「神の声」って思ってます。教祖様とか、霊能者とか、高級占い婆さんとかの声じゃなくって、何の気なしに耳に飛び込んで来る言葉。テレビだったり、ラジオだったり、たまたま知らない人同士の会話だったり、一冊の本だったり。
何かに凝り固まってる時って、そう言うのを聞き逃したり、見逃してしまうんだよな、って、
・・・・何が言いたいんだろ。
良く分かりませんが、こころは、そこそこ自由が心地いいよってことで。