くうきよめ

取り敢えず、「内部告発の人等が、ひとこと発するだけで 全てがすっきりするのにな」、と言う疑問は 抱いてはいけないのでは ないかと言う空気が漂うクサセト方面に於かれまして、反論と言う事が 出来ない東村山市民新闇が「その典型は、オウム返しの反応しかできない「創価の犬」。」 と、捨て台詞を 吐露したのも記憶に新しいのですけれども、地道と言う概念が 存在せず、心情慰撫、情報操作に 血道を上げるのが お仕事である事の顕れナノカナ なんて思ってしまうのは 早計ナノカモなどと 思っておりますけれども、唐突にメモランダム。(引用内太字は、t-j補)
1976年 昭和51年

冤罪事件は何故起きるのか
2008年10月31日(金) 15:31


題名は「冤罪(えんざい)-徐才喜事件の真実」というものです。
この記事は昭和53年に書かれたものですが、昭和53年2月15日、仙台地方裁判所は「弘前大学教授夫人殺害事件」の犯人として逮捕され、懲役15年の刑を受けた那須さんの再審請求に基づくやり直し裁判において、無罪の判決を言い渡した年でもありました。
私はこの年(1978年)の正月頃から、福島市で起きたある強盗殺人事件で逮捕された在日朝鮮人の冤罪事件に取り組んでいました。

 朝木さんの事件とはまったく関係ない話題から入ります。
 かなり脱線しますが、読んで欲しいと思います。その理由は昨日のエントリーの中で、指紋を警察が採取せずに、目撃者証言だけで犯人としたことに関して、何の疑問も思わない若者が何人か投稿コメントを寄せていたことに関して、正直恐ろしいものを感じました。

 このUPした記事は書店で売られている雑誌に初めて私が山本弘幸」ペンネームで28歳の時に書いた記事です。
 この時、生まれて初めて原稿料というものも頂きました。

 題名は「冤罪(えんざい)―徐才喜事件の真実」というものです。

 この記事は昭和53年に書かれたものですが、昭和53年2月15日、仙台地方裁判所は「弘前大学教授夫人殺害事件」の犯人として逮捕され、懲役15年の刑を受けた那須隆さんの再審請求に基づく、やり直し裁判において無罪の判決を言い渡した年でもありました。

 私はこの年(1978年)の正月頃から、福島市で起きたある強盗殺人事件で逮捕された在日朝鮮人の冤罪事件に取り組んでいました。
 25歳の時に逮捕された経験を持つ私は、その時から司法制度というものに対する関心を抱き、その後もこの事件に限らず冤罪を含む社会問題に取り組んで来ました。

 その過去をここで本日は披瀝するつもりはありませんが、冤罪という司法犯罪が何故起きるのか? そのことに関して現代の若者は余りにも無関心であり危機感が少な過ぎると感じました。

那須隆 - Google 検索

2006年6月 親韓 嫌韓 放心転換*1

 小さな食堂で今採れたばかりだという鰻(うなぎ)を食べた。都市では食べられない天然鰻を韓国風の辛味で味付けしたもので、とても美味しかった。今回、韓国では素朴なまでの農村風景を堪能させてもらった。


 そして、それとは対照的に都会の混雑さであった。日本も同じであると思う。都会の喧騒さを忘れ、田舎を旅することによって、自らの文化の良さを味わう事こそ、必要ではないのだろうか。その自らの文化に触れ自信を持つことが、都会の雑多に漂う異文化を排斥しない、その心の余裕に繋がるのではないのか。

「息を吐くように嘘を吐く」、「凶悪犯罪は、支那朝鮮人」と 毎日のように 罵詈罵詈と ご活動されている今、ほんの数年前の記事について どのような見解を示されるのか、初心は 何処に有ったのか、少しばかりの興味を覚えるので ございました。
また、蛇足として、全生園の話題で、「私生児として生まれた」と言う件についても、ラスカル西村さんの件に照らし合わせて 色色と伺ってみたいな、などとも思っております。

 (c) ニャロメさん

*1: 僕は負けていないんだからネ。