五戒も勒回もアルカイダ
可哀想かと聞かれれば、「可哀想だね」と、答えるでしょう。
せと弘幸Blog『日本よ何処へ』:何が「可哀想なのか?」
Tomatotic-jelly は、瀬戸先生が誤解されやすい可哀想な方なのではないかと危惧しております。
と言いますのも、個人と行政における責任の所在と不作為の区別がついていないのか、敢えて混乱させているのかと思えるからであります。
不法投棄宜しく個人の無責任な行動を行政が負う必要が何処まで有るのか、甚だ疑問ではありますし、さりとて、行政の不作為が過大な損害損失を引き起こしている事は説明するまでも無いでしょう。*1
また、自称カルデロン氏の御息女を喩えれば、単純なまでの異物排斥糾弾ではなく、左翼支援団体の魔手から救い出し未来の革命戦士とならぬよう日比両国への郷土愛を育むべく支援する事が危急の要件ではないのでしょうか。*2
日本と関わった者が日本の心を知り、日本を愛してくださるよう働きかける事が日本の未来を明るくさせるのではないのでしょうか。*3
在日増田たちが続々カミングアウト:Birth of Blues
瀬戸先生におかれましては、批判派が好き勝手難癖をつけているだけと言う ご意見もありますが、ご自身の言動の齟齬にお気づきであれば、それを認め終生修正し続けることが信頼回復の一助にもなりますでしょう。
もし、お気づきでないのであれば、Tomatotic-jelly の母のようにならぬ様、早急の受診検診をお勧めいたします。
諸源は、行政の不作為*4にあることを忘れ個人攻撃に勤しむ姿は、あまりにも見苦しく、返す返すも、HMY界隈問題はゴミ屋敷問題然として、その態を体現する悪例である事は否めません。
この半年を振り返り、東村山市民新闇も そうですが、いつになったら まともな情報が掲載されるのか、情報を纏められない Tomatotic-jelly が 可哀想になってしまいました。