お布施給付金

こう言う事は伏せておかねば遺憾ざき。最後の40秒を聞いて下さいまし。
TBS RADIO 1/23(金)コラムの花道
目くじらを立てて抗議するほどの事でもないと思うのですが、やはり気にいらないのですかね。 こう言う事をするから、「金と数の力で、ああしたこうしたあれもした」なんて言う事を言われるんだろうと思うわけですが、結果として体現している事は、瀬戸さん家らと一緒。 アヌスの鏡 ヤヌスの鏡でございます。何故か、ぬんこと離れられない。
奇麗事ばかりを並べ立てるのが、宗教の本ではないと思うんですね。 人の中にある良い事も悪い事も、ちゃんと見とかにゃいかんよと言うのを勉強するのが宗教観を身につける基本だと思うのですが、でも、間違っちゃった事を無かった事にしようとか、エエカッコしいばかりな事をしているだけで、そんなとこに寄って来るのは、そんなので満足するよな お客さんばかりみたいに見えるわけです。 だから、集金団体とか揶揄もされてる訳で、もし、身内が不祥事でも起したら、その非を厳粛に認め、加害者、被害者まとめて面倒見ましょくらいの太っ腹な所を見せたり、肩書買ったり、立派な入れ物建てたりするのを止めて、世の為 人の為に使ったりするんなら、Tomatotic-jelly も感心してしまうかもしれないです。
公明党と言う政治団体を持ってしまったことが、創価学会の自縄自縛になっているのは、前近代的物量至上主義、金持ち偉いの大誤算的世界遺産に成り下がっている、出る釘は打たれてしまうの喩を実践している訳で、他団体のようにヒッソリコッソリ、マッコルリを嗜んでいる方が賢コツなのではないかとも思うのですが、目立ちたがりの性分は頭隠して尻隠さずなのでございましょうか、それとも天然なのか。 なんか酔ってないかい。
生き物の無意識の中に答えはあります。自分の中に答えはあります。無心の中に答えがあります。何故、一心不乱に百万遍なのか。それに気付かず、縋ってばかりの人は、いつまで経っても答えは見つかりませんし、自分から逃げてる人は何も見つけられないよ。でも、神様の声*1なんか聞いちゃ駄目だよ。それは感じるものだからなんだ。
で、何が言いたいかと言えば、千葉さん カッコイイな*2○○○○さんへ 贈ります。引き返す最後の機会かもしれませんよ。
と言うことで・・・

*1:もし聞こえた その時は病院へ行こう

*2:本物は生き方と言う背中を示すだけ。 Tomatotic-jelly には無理だね。